秋の夜長に虫のさざめく – Ⅲ
(ⅰ)
ケロロたちが急襲を受けて苦戦を強いられている頃、オランジ星では、ケロン軍本部テント内が混乱状態となっていた。一般兵にとって普段は滅多に見ることのできない姿――軍帽の代わりに布をたらした帽子、そして口元を隠すマスク――基本的に姿を表さないはずのアサシンが、ただならぬ形相で突然駆け込んできたからだ。隊の参謀は作戦が失敗したのかと顔色を失ったし、若い通信兵は驚愕の面持ちで目の前にいるアサシン出身の男とレーダーとを何度も交互に見比べた。他の者たちもドロロの尋常でない勢いに気圧されて、テントの端に寄って固まっている。
だが、ドロロは、周囲の視線を気にする余裕もないままに、ばさりと頭部の布をはためかせながらバララ中尉に詰め寄った。今まさに淹れたてのハーブティーを楽しもうとしていたところを邪魔されたバララ中尉は、不快そうに眉を寄せた。
「何事だね。騒がしいぞ、ゼロロ兵長。貴様に命じたエリアの敵戦力の無力化はどうなって――」
「中尉殿、現在の地球の状況は!」
「……ゼロロ兵長。まずは上官の質問に答えるべきだとは思わないかね」
バララ中尉が言葉を遮られた苛立ちを露わにする。ドロロは軽く息を詰めて、気持ちを落ち着かせるようにしながら吐き出した。
「失礼しました。敵戦力の無力化は既に完了しています。隣接するエリアの武器破壊も同様に。それで、地球は、」
「ふむ。上出来だ。相変わらず仕事の早い男だね」
「中尉殿!」
報告を聞いて満足したのか、平静を取り戻してティーカップを手に取るバララ中尉に、今度はドロロが表情を険しくして詰め寄った。その剣幕に、テントの隅にいた新米の兵士が身を竦ませる。
しかし当のバララ中尉は、いかにも面倒くさい、といった風にカップを傾けた。
「何だね。地球? さて、今頃ケロロ軍曹殿が侵略に励んでいらっしゃるのではないかね。まぁ、我々とは関係のない話だが」
「侵略……隊長殿が……? いや、違う、あれは」
「今の貴様の隊長は私のはずだが?」
「……失言を。しかし中尉殿、一つだけ答えて下さい。今、地球は、ケロロ小隊は何かしらの危機的状況にある。違いますか」
ドロロの言葉にテント内がざわめいた。
ケロロ小隊と言えば、ケロン星の期待を一身に背負って悲願のポコペン侵略に励む隊として、非常に有名だ。また、その任務内容のみならず、豪華と言っても障りのない名高い隊員が揃っているという面においても注目を集めている。
そのケロロ小隊が危機的状況だなんて、と、驚きと不安がテントの中を伝染していく。それを感じ取って、バララ中尉はカップを手に持ったまま、さも大儀そうに立ち上がった。
「ゼロロ兵長。相変わらずユーモアのない男だね。作り話ならもっと興味をそそる話を考えたまえ」
「作り話などでは」
「ほう。ならばなんだと言うのかね。通信兵、ケロロ小隊から何か通信が来ているかね? 来ていない、まあそうだろうね。ありがとう。さて、ゼロロ兵長。我々にポコペンからの通信は一切届いていない。そもそも侵略活動は常に大きな危険と隣り合わせのものであり、先行工作部隊が何かしらトラブルに巻き込まれることも容易に想定される事態だ。ここまで異論は?」
「……ありません」
「よろしい。では続けよう。そうだね、華々しい活躍を誇る、あのケロロ小隊だ。ケロロ軍曹殿はこれまでも様々な危機を幾度も切り抜けてきたようであるし、もし、今、トラブルに直面していたとしても、それはケロロ軍曹殿の実力からして何でもないことなのかもしれない。そうだろう? いずれにせよ、我々の知るところではないね」
「でも、僕は」
「今日はやけに雄弁じゃないか、ゼロロ兵長」
今度はドロロの言葉にバララ中尉が割り込んだ。カップを持つその指先には力がこめられ、白く色が変わっている。
「まさか、あぁ、まさか――ゼロロ兵長、君は所属を離れた部隊と連絡を取り合い、ケロロ軍曹から直接救援信号を受け取っていたとでも? 従順に私の命令に従う裏でそのような非常識な真似をしていたとでも? それとも、通信機の番号を変えるように命じたのに従わずに残しておいたとでも言うのか、もしや……あぁ忌々しい、貴様、ケロロ軍曹に何か妙な知恵でも吹き込まれたか!」
最後には、バララ中尉は大声で叫びつけていた。強く握られた持ち手にヒビが入って砕け、カップが地面にぶつかって大きな音をたてながら割れた。常に優雅さを保っていた上官の、今まで見たことのない程の怒りの形相を目の当たりにして部下達が身を震わせる。しかしドロロはまったく動じた様子もなく、目を伏せて静かに首を横に振った。
「いいえ。この星に来て以来、地球と連絡をとったことなどありません。しかし――」
ざわ、と空気が揺らめく。
テントの中にいた兵士たちはぼんやりとドロロの体が光ったような錯覚を受けて、目を擦った。
いや、錯覚ではない。
実際に静かな光が青い体に集約し、その光が次第に何かを形作っていく。兵の集団の一角から、ひっ、と息を飲む音が聞こえた。意思をもったようにぞわりと蠢く光、それは、まるで多足類の虫。次から次へと湧き出しては身を這う光を薄く濃く纏いながら、温度の無い瞳でドロロは続ける。
「――暗殺兵術、虫のしらせ(アサシンマジック、ビー・コネクト)。この術は、我々アサシンが、己で定めた対象者の身の危険を察知する術です。僕はその対象を常に“ケロロ軍曹”の波長に合わせています。何の攻撃にも使えないこの術の用途はアサシン個人の自由なものだから……」
ドロロの眼光が零下の鋭さを見せた。同時に虫の動きも激しくなった。かさかさと擦れ合う音すら聞こえそうな程である。
「僕はこの術でケロロ小隊の、いいえ、ケロロ軍曹の危険を感じました。SOSが来ていないのは無事だからではない、彼らは今、救援信号も出せない程の危機的状況に陥っている可能性がある! ……バララ中尉。貴方は知っているはずです、地球の状況を」
テント中から、目の前の会話を理解しきれない、と言いたげな視線が対峙する2人に集中する。
そして、ドロロも詰問するような視線を目の前の男に突き刺す。
しかしそのどちらにも構うことなく、バララ中尉は、不意に口の両端をつり上げた。
「実に、実に興味深い! そんな術もあるとはさすがアサシンだ。ゼロロ兵長、君は実に有能だし、君の活躍は素晴らしい。おかげで我々は戦況を常に有利に運ぶことができている。だが不思議に思わなかったかね、ここ数日のわが軍の圧倒的な勝利の原因を」
「……何、を」
虚を突かれてドロロは戸惑った。
バララ中尉は、ゆっくりと言い聞かせるように続ける。
「拮抗状態がせいぜいのこの戦力で、この侵略作戦を成功させるにはどうすればいいのか。何、簡単なことだ。自軍の戦力が敵戦力を上回ればいい。そしてこの宇宙において、“みんなポコペンを欲しがっている”。さあ、これだけ言えばわかるかね」
「いったいどういう、……まさか!」
ドロロは目を見開いた。
「まさか、地球を――ケロロ小隊を敵に売ったのですか!」
テント中が驚愕に包まれる。次第に大きくなる当惑のざわめきのなか、今や全ての部下の注目を集めることとなったバララ中尉は、それでも華やかに微笑みながら口を開いた。
「人聞きの悪い言い方を。戦略と言ってもらいたいものだ、ゼロロ兵長。例えば、そうだな。現在ポコペンにはケロン軍の総指揮官がいるらしいという噂が流れたとしよう。その噂がオランジ星人の耳に入り、主戦力をポコペンに向けてこの星で交戦中のケロン軍が撤退するように仕向けようと考える……そういうこともあるかもしれないね」
「貴方は……まさか、貴方が」
「情報戦だと言えば分かってもらえるかね?」
「詭弁だ! なんと卑劣なっ……」
ドロロの瞳が怒りに揺らめいた。バララ中尉はそれすらも愉快そうに笑んでみせた。
「卑劣だと? 人聞きの悪い。ゼロロ兵長、私は何もケロロ小隊を見殺しにする気はないのだよ。物事には順序があるというだけなのだから。いいかね、まず、我々がこの星での戦いに勝利し、次にポコペンへ救援に向かう。そこでまた我々がオランジ星人を破って――あぁ、オランジ星人が対物理攻撃強化型装甲を備えていることくらいは、ケロロ軍曹殿にお教えするべきだったかねぇ。紅茶の商船に奇襲をかけたときには物理攻撃しか用いなかったのだから、当然装備だって偏るだろうし――まぁいい。ケロロ小隊やポコペンには少しくらい被害が出るかもしれないが、侵略達成のためなら些少な犠牲に過ぎない。そしてオランジ星もポコペンも、念願叶ってケロン星のものとなる。あぁ、美しい。これが理想形だ! そう思わないかね?」
『思わない、でありますな……少なくとも我輩は』
「なにっ!?」
バララ中尉が両腕を広げて言い放った直後、突然本部の通信機から届いた、聞き慣れない――ドロロにとっては懐かしい――声。
「ケロロ……君?」
ドロロが茫然と呟いた言葉に、バララ中尉は表情を強張らせた。
部屋の中央の通信機から聞こえるのがケロロ軍曹の声だとわかって、兵士たちの興味が中央に集まる。全員の視線が集中しきった絶妙なタイミングで、通信機から再び声が響いた。
『突然の通信、失礼を――おっと、その前に無理矢理通信回線を繋げたことでありますな、これまた失礼を。現在少々立て込んでおりまして、お詫びが後回しになること、お許しいただきたい。我輩はケロロ軍曹であります』
「通信兵!」
「た、只今、回線をチェック中です!」
バララ中尉の怒鳴り声がテントを震わせたが、それに構わずケロロは続ける。
『バララ中尉殿、話は聞かせていただいたであります。いやぁ、御自分の任務を済ませてからポコペンも侵略しちゃおうだなんて、一石二鳥を狙う心意気、野望(ユメ)がでっかいのはいいことでありますなぁ。しかし、ポコペン侵略は我がケロロ小隊の任務であり、他の部隊の救援要請など、現在も、そしてこれからも出す予定はないでありますよ。勝手なことをされるのは困るであります。軍規でも、他の部隊が勝手な判断で余所の仕事に手を出すことは禁止されていること、よもや御存知無い訳ではありますまい』
この言葉に、青い瞳が驚きに見開かれた。暗殺兵術によって確かにケロロの危機を感じたというのに、ケロロは援軍を要請するつもりはないという。危険な状況にあって尚、他の部隊の助けを必要としないその理由は。ドロロは、一つだけその解答に――自分の望んでいた唯一の解答に思い至り、思わず自分の胸元に手を当てた。
――まさか、でも、いや、もしかして。彼が必要ないと言ったものは“他の部隊の援軍”、ならば彼が今、必要としているモノは――……?
ドロロが思考に集中する傍らでは、バララ中尉が声を張り上げていた。
「ポコペンからの通信は完全に切っておけと言ったはずだ、通信兵!」
『く~っくっく、そんなチャチな暗号化で“完全に通信を切っている”……ねぇ』
通信機からケロロのものではない陰湿な声が聞こえてきた途端、古参の通信兵が短い悲鳴をあげた。
『いつから軍の通信機はお子様のごっこ遊びのおもちゃになったんだい? 程度が低すぎる、いっぺん本部の研修受け直してきなァ。音声だけあれば必要十分だからこれ以上は勘弁してやるが、もうちっと危機感持った方がいいぜ……ほれ、サービスだ。く~っくっくっく』
その言葉に反応するかのように、一瞬、立体映像を投影する装置が勝手に作動し、オレンジ色のうずまき模様が表れ、すぐに消えた。顔を青ざめさせながら通信兵が総出でキーを叩き、そのうちの一人が手を止めると、絶望的な表情でバララ中尉を振り返った。
「中尉殿! ケロロ小隊の、く、クルル曹長による通信傍受の形跡を発見! 一番古い日時は――――1週間前です!」
「なんだと!」
『ゼロロ兵長……いや。ドロロ兵長』
普段の余裕のある表情を完全に崩して、バララ中尉は通信機とドロロを交互に睨み付ける。だが、ドロロは通信機の声に全神経を集中させていた。期待と不安、複雑な感情に、それでも瞳を輝かせながら。
『ケロン軍本部より、先日の貴様の部隊異動命令が、今、たった今、取り消されたであります。よって、貴様はこの時より、再び我がケロロ小隊の一員――ドロロ兵長! 直ちにポコペンへ、我々の任務地へ帰還せよ!』
「……!」
ドロロの瞳が力強い光を取り戻していく。その頬には血の気が戻り、喜びに、ただただその顔を輝かせている。横でバララ中尉が何事か叫んでいるのも耳に入らない。
「何を言っている、私はそんな命令を聞いていない! おい、ゼロロ兵長、勝手なことは許さんぞ!」
『だから今出たばかりなんだっつーの。もうすぐメールが行くはずだぜェ、どうぞお楽しみに。くっくっく……』
「……了解!」
居ても立ってもいられない、といった風に、ドロロは身を翻しテントを飛び出して行く。テントの外で立ち聞きしていた兵士達が、慌てて避けようとして互いにもみ合っているのを気にもとめず、軽々と遥か頭上をジャンプして飛び越えた。
その軽やかさと生き生きとした表情につい見惚れている部下に対して、バララ中尉は急いでドロロを追うように命じた。我に返った部下達が慌てて動き出そうとしている間にも、ドロロは風のように先へと進む。目指すはケロン軍小型宇宙船の格納庫。
「止めろ! ヤツをポコペンへ行かせるな!」
「中尉殿、し、しかし」
『おぉ~っと、小型艇の発進に協力してもらうぜぇ、ソッチの技術職さん方よ。抵抗したけりゃしてもいいが、いいか、言っておくが俺様はそれを全部押さえつけるし、宇宙船は飛ぶ。結果が同じなんだから手間の少ない方で頼むぜ。何しろ、侵略対象の星がひとつと、特殊任務活動中の小隊ひとつの存亡がかかってんだからなァ……』
もの凄いスピードで勝手に操作が進んでいくパネルを見た通信兵が、躊躇しながらもクルルの言葉に納得して格納庫のロックを解除する。整備兵もシステムを起動させ、宇宙船に問題のないことを確かめて飛行許可状態へと操作した。あとは誰かが乗り込み、搭乗者が発進させるだけ――と、その時、一隻の小型宇宙船が無事に発車したことがランプの点灯によって本部テントに伝えられた。
「貴様らぁっ!」
『おお。忘れておりました』
歯ぎしりをしながら拳を固く握りしめたバララ中尉であったが、再び通信機から響いた声に思わずその手を緩めた。なんとも言い難い、威圧感の籠められた声音がその場を支配する。
『先程の中尉殿とのやり取りは、全てケロン星へと同時通信しております。中尉殿に対しては、先日の命令の取り消しと同時に、ケロン星への召喚命令も出ていると思うでありますが……いや、これ以上は出過ぎた真似でありますな。バララ中尉殿。ポコペンは我輩にお任せ下さい。それから、数々の御無礼ご容赦下さいますよう。それでは――』
「……なんと、いうことだ」
通信が切れると同時に、ケロン星からの一通のメールが届いた。バララ中尉はがくりと肩を落とす。自分の周りにケロン軍の調査が入れば、何がしかの処分は免れないだろう。バララ中尉は放心したまま、足元の割れたカップと零れた紅茶を見つめていた。いつも心を癒してくれるハーブティーの匂いが、今はやけに鼻につく――ぼんやりとそんなことを思い浮かべながら。
→Ⅲ(ⅱ)
ケロロ君がドロロを見捨てるはずがない。わかっていても不安になっちゃうドロロ心(違)。それと曹長万能説。てゆーか、自分から悪事をペラペラ喋っちゃうなんて、なんて典型的な悪役!